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蓮 華 |
日蓮聖人は、「法華経の行者」といわれています。
ときに「日本第一の法華経の行者」というご自覚をも吐露されています。「行者」というのは「実行する者」という意味ですから、「法華経の行者」というのは、仏の教えの中でも『法華経』の教えを特に実行する者、実践する者という意味ですね。
『法華経』はそのフルネームを『妙法蓮華経』というんですが、これでもおわかりのように、その教えを一言でいうと「蓮華」、つまり蓮の華にたとえられた教えと言ってもいいでしょう。『法華経』の第十五章『従地涌出品』には「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し」と教えられています。
ご存知のように「蓮華」は、泥沼の中でもきれいな清浄な花を咲かせます。ですから「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し」とは、この現実の社会、「争い」や「ねたみ」や「そねみ」、また「むさぼり」や「いかり」のうずまいている、この私たちの現実の社会生活の中にあって、その泥沼に染まることなく、きれいな清浄な花を咲かせる「蓮華」のような生き方を心がけることこそ、すばらしいことだと教えるのです。
「蓮華」のたとえのもう一つの大事な意味は、「蓮華」は「蓮果(けか)同時」といって、花が咲いてから実がなるのではなく
て、花が咲くと同時にその中に実をつけていることに依っています。ということは、花と実、つまり原因である「花」と結果の「果」が一緒に在るということなんです。それは何を意味しているのかというと、日蓮聖人は「仏性(ぶっしょう)の蓮(はちす)は衆生の身内(しんない)に納(おさ)まれり」(定二一三六)と仰せられました。
蓮の花がその内に同時に実(み)を持っているように、私たちも同時にその内に「仏性」という実を持っている。「仏性」というのは、「仏」という字に男性・女性の「性」という字を書きます。「性」というのはリッシンベン、心に生きると書きますが、これは「もちまえ」という意味です。
ですから、男性といえば、もちまえの生まれつきが男であるということ、女性といえば、もちまえの生まれつきが女であるということなのです。と同時に『法華経』の「蓮華」の教えからいうと、男性・女性ともに「仏性の蓮は衆生の身内に納まれり」つまり仏性という蓮の実が、すべての人々の身体の内に納まっている。しかも、もちまえの生まれつきとして「仏」という蓮の実が宿っているんだと教えるのです。
「衆生の身内に」納まっているところの「仏性」という宝の実を大切にしなさい。そして「蓮の花」のような生き方をめざしなさい。日蓮聖人は、この『法華経』のメッセージを、「法華経の行者」として実践しぬいたすばらしい「代表的日本人」なんですね。 |
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