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寿 命 |
「寿命(じゅみょう)」ということについて話したいと思います。「寿(ことぶき)」という字に「命(いのち)」という字を書いて「寿命」と読みますが、字引には「命がある間の長さ」としるされています。
日蓮聖人は、「人の寿命は無常なり」とおっしゃられました。これを一言でいえば、人の生命の長さというのは分からないものだ、ということですね。
動物は、犬でも猿でも、自分で自分の寿命を考えるということはありません。犬が、自分は早く死ぬかもしれない、いや、もしかすると長生きするかも知れない、なんて意識して生きてはいないでしょう。あるいは猿が、あゝ自分は一日でも長生きしたい、なんて思って生きてはいないでしょう。その日その日を生あるものとして生きているのが動物の世界です。
でも人間だけは他の動物と違って、「寿命」ということを考えるんですね。意識せざるをえないんです。
グリム童話に、人間の寿命についてのこんな物語があります。
神様がいろんな動物の寿命を決められる話なんですが、神様がまずロバに三十歳の寿命を与えようとします。するとロバは、荷物を運ぶ苦しい生活の長くなるのを嫌がりましたので、神様はロバに「ではその寿命を十八年分短くしてやろう」と約束されます。次に犬と猿にも、やはり三十歳の寿命を与えようとするんですが、犬も猿も三十歳は長すぎるというので、神様はそれぞれ十二歳分と十歳分だけ短くして与えました。
神様は最後に、人間にも三十歳の寿命を与えようとしました。すると人間だけは、三十歳の寿命では短い、もっと長くしてくださいというので、神様はロバ・犬・猿から取った年令分、十八歳と十二歳と十歳の合計四十歳を全部人間に与えて、人間の寿命を七十歳にしてくれたということです。グリム童話では、この後、それ以来人間は、三十年の人間の生涯を楽しんだ後で、十八年は重荷に苦しむロバの人生を送り、続く十二年は噛みつくには歯も抜けてしまった老犬の生活、後の十年は子供じみた猿の年を送ることになったと書かれています。
せっかくのびた寿命を、動物の心のまま、動物の世界のままに生きたのではもったいないですね。神様も、そんなことを期待して人間の寿命を延ばしてくれたのではないと思います。せっかく与えられた寿命なんですから、この話のように動物の寿命として生きるのではなく、あくまで人間の寿命として生きてゆきたいものです。 |
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