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07.11.19
 
 
骨揚げの心
「逆縁(ぎゃくえん)」という言葉を耳にすることがありますが、この「逆縁」とは、字引きには「順当に反した法事。年長者が年少者の、親が子の、供養をするの類」とあります。息子でも娘でも、親が自分の子供を失う悲しみと苦しみは、言葉ではいいあらわせないほど深く大きいものがあります。このように、順当ならば先に逝くべき者が、先立っていった若い者を見送ることを「逆縁」というのです。
昔は、「逆縁」のときには、故人の親は野辺送りや火葬場へは行くべきではないとされていました。その理由として、親に先立つような親不孝者の最後の見送りはしなくてもよい、という考え方に由来しているという説もありますが、実際には、最愛の子供との最後の別れの場にいたたまれずに取乱してしまって、みんなに迷惑をかけては申しわけないという気持ちと配慮から、そのような習慣がうまれたのであって、親不孝云々ということは、後からつけられた理由ではないかと思います。
火葬した遺骨を拾って骨つぼに入れることを「骨揚(こつあ)げ」とか「骨拾い」といいます。また「渡し箸」とも「箸渡し」ともいいますが、長い竹の箸を使って二人で一片のお骨をはさみ、支え合って骨つぼに入れますね。最初にまず歯を拾い、順次納めていって、最後にのどぼとけを拾って納めるとされています。
ところで、骨揚げのときにどうして二人でお骨を拾うようになったかと申しますと、一つは死に対する恐れからで、もし一人でお骨を拾うと、その人に死がとりついてしまうのではないかという恐れから、そのようにするようになったといわれています。もう一つの理由としては、悲しみを分かち合い支えあってお骨を拾おうという気持ちから、二人で拾うようになったのだともいわれています。愛する人の死に打ちひしがれた悲しみの中で、変りはてた遺骨をたった一人で拾わなければならないとしたら、それはどんなに悲しいことかもしれません。「悲しみは分かちあえば半分になる」というように、残された親族や親しい人達が支えあってお骨を拾う…。それがいつしか習慣となって残っていったのでしょうね。
人々の習慣の中にひそむ、人の真心を見すえたいものです。
 
   
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