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急がず休み過ぎず |
車の運転にはその人の性格が出るとよく言いますが、運転をしていると、本当にあの運転は危ないな…と思わせられることがよくあります。とくに関越自動車道路や東北自動車道の高速道路を走るときにそういう車にでくわします。
もの凄いスピードで追い抜いていく車。まるでレースをしているかのように、二台がピッタリとくっついて猛スピードで走っていく車。右の車を追い越し、左の車を追い抜きながらジグザグに突っ走っていく車…等々。自分だけで事故をおこすのは自業自得ですが、事故というものは他人の車も巻き添えにするのです。そんなことがなければよいが…と、本当に心配させられてしまいます。
『法句経』というお経に、「人もし、やすらかに馬を走らせることができるならば、われ、はじめて彼を御者(ぎょしゃ)とよぼう」という言葉があります。むやみに早く走らせたり、あるいは人に危害を与えたりしない、やすらかな馬の走り方ができてこそ、はじめてその人を「御者」、つまり運転手とよぶことができる、というのです。
また「自らを調(ととの)えなば、われ初めて彼を御者とよばん。然らざる人は、ただ手綱をもつものなり」ともあって、自分で自分の心をコントロールできず、ただ乱暴な運転をする者、それはただハンドルを持っているというだけで、本当の運転手とは言えないのだ。そのようにお釈迦さまはおっしゃっています。この譬えは、もちろん車の運転にかぎらず、自らの心を調えることができる者、自らの心の本当の運転手になれる者、そういう者こそ人間として立派な人なんだという教えを語っているわけですね。
むやみに急ぐことによって、人よりも早く目的地に着くような気がするものですが、しかしどんなに飛ばして運転しても、実際にはそんなに早く目的地に着けるわけではないのです。また不必要にダラダラとしていては、いつまで経っても目的地へは着けません。
「急がず休み過ぎず」ということが大切です。それぞれが心に思うことや願うことを、「急がず休み過ぎず」、新たな気持ちで歩みはじめて下さい。 |
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