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失敗に執着するな |
誰でも過去にニガイ失敗の経験を持っていると思います。大切な物を失くしてしまったとか、大事な約束を忘れてしまったとか、あるいは仕事のことでとんでもないミスをしてしまったとか…。大なり小なり、何かしらの失敗を積みかさねてきていることでしょう。
仏教では「人間は必ず失敗をするものなんだよ」と教えています。人間に失敗はつきもの、失敗しないで生きていくなんてできない相談だよというのです。でも誤解しないで下さい。だから失敗していいというのではありません。失敗しないように心がけるんですが、それでも失敗した時には、いつまでもその失敗にうしろむきにとらわれていてはダメと仏教では教えるのです。つまり、失敗に執着するだけではダメなんだということです。起こってしまった事実はもう消すことはできないのだから次を考えろ。その失敗をよく見つめて、それをどう処理するのが一番いいのかに心をくだけ。そういう教えなんですね。
これはある若い新入社員の話ですが、ある日彼は、上司から会議のための資料作成を指示されて、数字の見直しをしないまま提出してしまったんです。上司がその資料を持って会議室に向かったあと、気になって資料のコピーを見直してみると、重大な数字のまちがいに気づきました。上司はそのことに気がつくかもしれない、あるいは気がつかないかもしれない。彼はそれをすぐに上司に知らせるべきか、それとも知らん顔をしてしまうか迷いましたが、決心してすぐに会議室に内線を入れ上司にそのことを伝えました。上司の「わかった」という一言には怒りが含まれているように感じられました。
会議が終わると、彼は上司のところにすっ飛んでいき頭を下げて謝りました。てっきり最大級のカミナリが落ちるかと待ち構えていた彼に、上司は「さっきはありがとう、助かったよ。急いでいるときは、できるだけ慎重に頼むよ」といったそうです。彼は拍子抜けするとともに、とてもうれしくなったそうです。(多湖輝『仕事の教え方』)
「失敗」という事実を目の前にした時、どういう行動をとるのが一番いいのか。なかなかむつかしいことですね…。 |
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