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春のいわい |
日蓮聖人の弘安五年正月の御真蹟に「春の始めの御悦(およろこび)、花のごとくひらけ、月のごとくあきらかにわたらせ給うべし」(定一九〇九)とあるように、日蓮聖人はお正月を「春のはじめのおよろこび」と、とらえられました。また「春のいわい」(定八五九)というお言葉もありますが、そのよろこびは、たとえていえば、花がきれいに開き、月がまあるく満ちて明るくなるようなものである、と語られているのです。
新年は「心機一転」の時ですね。新しいものを入れるためには、古いものを捨てることも大切です。心の働きをぐるりと一回転させて、想いを新たにしてスタートできるなら、文字どおりに「春のはじめのおよろこび」とすることができます。大聖人はお正月について、このようにも仰せられています。「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく。日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく。とく(徳)もまさり人にもあいせられ候なり」(定一八五五)。
正月の一日は、まことに、日のはじめ、月の始め、としのはじめです。このお手紙は身延の大聖人のもとに、富士の信徒重須(おもす)殿女房から、お正月に「十字(むしもち)一百まい……」などが贈られてきたことへの御礼のお手紙の冒頭の一節ですが、重須殿女房からは本当にたくさんの、心づくしの手づくりのお餅などがお正月のお祝いとして大聖人にとどけられました。その心のこもった届け物に、大聖人の感激もひとしおの様子ですが、その感激は、法門のことについてたずねられた向上心と、贈り物に込められた重須殿女房の志ざしに向けられたものでした。
大聖人には「十字(むしもち)の餅(もちい)、満月の如し」(定一七二九)という表現もありますが、当時のいわゆる「のしもち」は、今のように四角ではなく、まん丸の形につくったんですね。それは満月のようである。大きな満月のような心による「むしもち」である。その「むしもち」のような丸い大きな心をめざせば「徳もまさり、人にも愛される」(定一八五六)こと間違いない。こう大聖人はかたられました。
そのような心を忘れずに一年のスタートをきりたいものですね。 |
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