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  日蓮聖人に学ぶ「こころ」「ことば」「ふるまい」 --- 地涌塾 説法「最新の説法」  
 
08.01.22
 
 
仏界とは
われわれの劣った心に仏の世界(仏界/ぶっかい)がそなわるということは、信じがたいことである。これ当然の疑問といえます。このことについて日蓮聖人はたとえば、次のように説かれました。

「しばしば他人の面ざしを見ると、あるときは喜び、あるときは怒り、あるときは平穏となり、あるときはむさぼりが現われ、あるときは愚かさが現われ、あるときはよこしまとなる。怒りは地獄のすがた、むさぼりは餓鬼のすがた、愚かさは畜生のすがた、よこしまは修羅のすがた、喜ぶのは天のすがた、平穏は人間のすがたである。このように、他人の面ざしの色や形をとおして、六道ともにそなわることを知る」。(観心本尊抄、筑摩書房『日蓮集』の訳文による)

人間の心の世界に、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、といった六道の世界がそなわっているということは、このように他人の面ざしの色や形をとおして知ることができる。しかしその上の聖なる四つの世界、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)、仏(ぶつ)の世界については見ることができるのだろうか……。これが次の疑問です。これにたいして日蓮聖人は、

「人生無常は眼前の事実である。これ人間界に二乗界がそなわっていることである。また他をかえりみない悪人でさえも、なお妻子を慈しみ愛する。ここに菩薩界の一部分がみられる。ただ、仏界だけは、目にしがたい。……けれども、法華経の文に“人びとをして仏の智慧を開発せしめんと欲する”と説かれている。……末代の凡夫、出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足するが故なり」(同前)。このように述べておられます。つまり、末世の凡夫であっても、生まれて『法華経』を信ずるにいたるのは、人間界に「仏界」がそなわっているからである。こういうことですね。

仏の教えを信ずることができるのは、仏の教えを信ずるという「能力」が人間の内にそなわっているからです。そしてその能力こそ「仏界」のあらわれである、と身をもって語られたのでした。
 
   
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