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恩を知る心 |
「恩」という字を想い浮かべてください。原因の「因」という字の下に「心」と書きますね。「因」というのは「もと」ということです。わたしたちが現在あるのは、親の愛とか、先生の導きとか、いろんな人の協力とか、また自然のめぐみとか、その他さまざまな「因=もと」によってはぐくまれたからこそ、今こうしていることができるのですが、そのもとの「因」を「心」の上にいただいている、それが「恩」という字なんです。ですから、さまざまな「因」に対して、ありがとうと感謝して、「心」のうえに素直にいただいていくことが「恩を知る」ということなんです。
こういう話があります。
幕末に活躍した剣道の達人山岡鉄舟が、ある事情から莫大な借金をつくり困り抜いていたとき、あの勝海舟が徳川家にたのんで金を出してもらい、鉄舟の危急を救ってやったことがあるそうです。そこで勝海舟が、徳川家へ行ってお礼を申してくれ、と鉄舟に言いますと、鉄舟は「承知しました」と返事はするんですが、いつまでたっても徳川家に出かけようとしません。これには勝海舟もさすがにムッとして、あるとき「君、なぜ行かないのか」と詰問しました。すると鉄舟は「申し訳ありません」とあやまりながら、さらにこう語ったそうです。
「この前、そのことをいわれたので、すぐにでもお礼に行こうと思ったのですが、思い返すと、これは行かないほうがよいのではないかと考えたのです。なまじお礼を申しあげたら、心のなかで、もうお礼を申しあげたからと思って、この大恩を忘れるようなことになるかもしれないから、あえてお礼には行かないで、どのようなときにもご恩を受けたことを思い出し、いついつまでも忘れまいと思ったのです」と。
「恩を知る」とは、こういうことなのかもしれませんね。 |
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