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はなかたるらく−若山牧水− |
歌人の若山牧水をご存知ですね。山に囲まれた日向国、宮崎県東臼杵郡東郷村(大字坪谷村)の医者の子として一八八五年に生まれた牧水は、一九二八年、四十三歳の若さで亡くなりました。自然主義的作風を代表する歌人として、また、旅を愛し酒を愛した歌人としても名高く、
幾山河越え去り行かば寂しさの
終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
の歌は、とくによく知られています。
ところで、実は私も知らなかったのですが、牧水の祖父はここ川越の在の農家の出で、小さいころから江戸に出て生薬屋の奉公をしていたのだそうです。そのとき、オランダの医者シーボルトが九州の平戸に来ていることを知り、自宅に戻って、「実は身延山へお詣りがしたいのですが」といって許しを得、そのまま平戸まで行ってシーボルトに仕え、洋医学を学んだということです。
牧水のお母さんはマキという名前だったそうですが、母がとくに好きであった牧水は、その母の名「マキ」をとって「牧水」という号をつけました。
牧水は「おもいでの記」の中で、その母のやさしさをしのんで、「私は五歳位から歯を病んだ。右も左も虫歯だらけで、病み始めると果たしてどの歯が痛むのだか解らなくなり、まるで顔全体が痛むかの様に痛んで来た。そんな場合、おいおい泣きわめいている私を抱いて一緒に涙を流しているのは必ず母であった」としるしました。
今、生家の隣に記念館が建っているそうですが、そこには牧水直筆の歌、
かたはらにあきくさのはなかたるらく
ほろびしものはなつかしきかな
が掛かっているそうです。
仏教では「草木成仏(そうもくじょうぶつ)」といって、名もなき野の草も木も、仏の教えをつねに語りかけていると教えるのですが、牧水は生前よく「自然のすがたに同化してゆけそうな気持」を語っていたということです。「かたはら」にある、名もなき小さな「あきくさのはな」の語りかけに耳をかたむけることのできた牧水は、そこに「仏の声」を聴いていたのかも知れません。 |
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