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花と変りて |
お釈迦さまが、将来は王様になる身である王子という立場をすてて、城を出られ出家されたのは、二十九歳のときといわれています。それから六年間、いろいろな師を訪ね、さらに禅定や苦行などのさまざまな修行をつまれて、最後にウルヴェーラ、のちにブッダガヤーと呼ばれる場所のアシヴァック樹の根もとで大いなる悟りを開かれました。そこでこの樹は、のちに菩提樹と呼ばれるようになりましたが、それは釈尊三十五歳のときの十二月八日の早暁のことでした。
釈尊が最後の大いなる悟りに入れられるということを聞いて、あわてたのは悪魔(魔王)たちです。釈尊が大いなる悟りを得てしまったら、悪魔たちの立場(出番)がなくなります。そこで悪魔たちは、さまざまなかたちで、釈尊が最後の悟りを得ないように邪魔をします。
まず大暴風をおこして禅定に入られないようにしますが、釈尊のまわりだけは静けさをたもちます。大雨を降らし大洪水をおこしてせまりますがだめです。うるわしい女人の姿で誘惑しても釈尊の心は動じません。欲望、快楽、名誉のささやきも通じません。そこで最後に悪魔軍は軍隊をもって攻め、釈尊に毒どく箭せん(毒矢)を雨あられと射かけました。いよいよ釈尊もこれで最後かと思われたとき、この毒箭はすべて花びらに変わって釈尊の上にふりそそぎ、釈尊は無事に大いなる悟りをえられたといいます。
この仏伝の一節を、わたしの先輩である菅野啓淳上人のお師匠さんは、次のように教示されたそうです。
「お釈迦さまが毒箭を花びらに変えられたこのご行為は、我々凡夫が他人から嫌な言動を受けたとき“なにお!”と同じ言動で返すのではなく、その言動を“一片の花びら”として受けとめ、笑顔、温眼、愛語で返す努力をせよというご教示である。
しかも“花びらとして受けとめる力”は誰もが持っているもので、それを仏性という。この仏性をみがくのが仏道修行である。一生をかけて努力をおしんではならない」(菅野著「人みな花あり」序文)。
毒矢を花びらに変えることができたら……。こんなすばらしいことはありませんね。 |
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