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損得のものさし |
イスラエルの国に、次のような寓話があるそうです。
ある時、神さまがパン屋の主人に「おまえの願いごとを一つだけ叶えてやろう」と言いました。パン屋の主人はとてもよろこんで、神さまにさっそくお願いをしようとしたとき、神さまはこうつけ加えました。「わたしはおまえの願いを一つだけ叶えてあげるが、それには一つの条件がある。それは、おまえの願ったことの二倍を、向いに住んでいる、お前と仲の悪い肉屋の主人に叶えてやるということだ」。
これはつまり、パン屋の主人が一億円のお金をくださいと願うと、パン屋の主人に一億円のお金をやって、さらに向いの肉屋には二億円をやる。反対に、パン屋が一億円の損をのぞむなら、向いの肉屋には二億円の損をさせる。そういうことなんですね。
そこで、パン屋の主人は何を願うのがいちばんいいか考えました。そして神さまに「それでは神さま、私の片目をつぶして下さい」と頼みました。
こういうお話しなんです。もっといいことをお願いすればいいのに、おかしなお願いごとをしたものですが、パン屋はこう考えたんですね。いいことをお願いすれば肉屋は自分の倍もうかって得をしてしまう。それでは自分は損をしてしまう。しかし自分の片目がつぶれれば、肉屋の主人は両目がつぶれて、自分よりもっと不幸になる…と。
この話は、とても示唆に富んだ寓話だと思うんですが、さて、あなたならどんな願いごとをするでしょうか。私は次のように思いました。神さまにお願いごとをするなら、
①自分の幸せだけをお願いしてはいけないんじゃないかということ。
②もちろん他人の不幸せを願うことはとんでもないということ。
③自分の願いが他人の幸せにつながるのが本当の祈り(願い)であるということ。
④損得をものさしとした生き方だけでは、人間は本当の幸せにはなれないということ。
⑤自分の得がそのまま他人のためになるようであれば、こんなすばらしいことはないということ…。
まだまだいろんなことを教えられますが、さしあたってこんなことを考えました。
人間は、損得のものさしをどうしても手ばなすことはできないかもしれませんが、損得のものさしだけではまことの幸せはつかめないと思うのです。ものさしには他に善悪のものさし(いいかわるいか)や、真偽のものさし(うそかまことか)もありますね。 |
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