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水のごとき信心を |
人間が大切にしなければならないものは、いろいろ考えられますが、持続すること、途中で嫌になって投げ出すことなく持(たも)ち続けていくということが、特に大切ではないでしょうか。
これは「論語」にある話ですが、ある時、子路という人が師の孔子に「先生、政治家にとって大切なこととは何でしょうか」とたずねました。すると孔子は「政治家というものは、何よりもまず民衆の先頭に立って骨を折らなければいけない。そうして彼等をねぎらうことを忘れてはいけない(之に先んじ之を労す=先頭に立って骨を折り、ねぎらうこと)」であると答えられました。なるほど確かに、民衆のために尽くすことが政治(まつりごと)の第一ですね。しかし、その後に孔子は言葉を継いで「倦(う)むこと無かれ(無倦/むけん)」、つまり、途中で嫌になって投げ出してはいかんぞ、と言われたのです。
政治家もはじめは、人々の先頭に立って人々のために骨を折ろうと志して活動するんでしょうが、それが段々と名誉にとらわれたり、利権に迷ったり、私腹をこやしたりして道からはずれていく。孔子は、そうした人間の性(さが)を見通して「倦むこと無かれ」、途中で嫌になってはいかんぞ、初心を持ち続けることこそ大切なんだぞ、と言葉を重ねたんですね。
人間というものは、誰でも自分の思うようにならないとつい嫌になってしまいがちです。これは政治家に限らず、家庭生活でも仕事でも、みんなそうだと思います。
日蓮聖人は、『法華経』の教えを火のごとく信ずるのではなく、水のごとく信じて持(たも)ちなさいといわれました(定一四五一)。火のように一時的にカッと燃えさかるのでなく、いつも変らずに滔々(とうとう)と流れる水のように、「倦(う)むことなく」信仰を持ちつづけることが大切なのだとしめされたのでした。 |
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