|
「昇る太陽」の宗教 |
日蓮聖人は、建長五年(一二五三)四月二十八日、安房の国東條の郷、清澄寺の旭ケ森の山頂に立って、太平洋の水平線上より昇る明るく神々しい朝日に向い、お題目を十遍、声高らかに唱えられて立教開宗(りっきょうかいしゅう)を宣言されました。
そのとき日蓮聖人は、『法華経』の教えによって人々を幸福にすることを願い、胸の奥深くに「我れ日本の柱とならん。我れ日本の眼目とならん。我れ日本の大船とならん」(開目鈔・定六〇一)との誓いを立てられました。
「法華経の行者」としての日蓮聖人のご生涯は、迫害と苦難の連続でしたが、日蓮教団と激しく対立した浄土教が、西に沈む太陽、つまり夕日を見る日想観によって死後の極楽浄土を想いえがくのとは対照的に、日蓮聖人の宗教は、昇る太陽をみつめながら、この娑婆(しゃば)国土を永遠の浄土(寂光(じゃっこう)浄土)にしようと誓う、その願いに生かされていました。西に沈む太陽ではなく、東に昇る太陽。それが日蓮聖人の宗教です。
写真家の内藤正敏氏のご指摘によると、日蓮聖人と太陽とはとても深いかかわりがあるということです。(『日蓮を歩く』佼成出版社)
まず立教開宗の決意は、清澄寺で昇る朝日を見ながらのことでしたし、修行中の比叡山定光院には朝日ノ滝があり、また佐渡流罪中の実相寺での朝日への礼拝、あるいは早朝の太陽だけがさしこむ身延山の草庵跡、さらに身延山の奥の院思親閣(ししんかく)は、はるかふるさとの房総を臨みながら昇る朝日を拝するための最高の場所となっています。
春分と秋分の日に、信仰のお山である七面山の敬慎院(けいしんいん)山門の前に立つと、正面の富士山の中央真上に朝日が昇るのだそうですが、これは「年に二日だけしか起きない神秘的な宇宙のドラマだ」と内藤氏は語っています。
また「立教開宗の地、清澄寺の本尊は明星(金星)を象徴する虚空蔵(こくうぞう)菩薩を本尊とし、北極星を神格化した妙見山を背に南面している。つまり、清澄寺では、人間は北に向かって北極星と金星のシンボルを拝む。一方、山門は西面するため、山門を入った人間は、東の朝日に向かう位置に立つ。日蓮が朝日を見て立教開宗を思いたったという旭ケ森も、ほぼこの東延長戦上にある」と述べられ、「日蓮聖人は、大自然と強く交感した宗教家だったと思われる」との見方を示していました。 |
|
|