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輪廻転生 |
「輪廻転生(りんねてんしょう)」という言葉を聞いたことがあると思います。車の輪がくるくる廻るように、人間が生と死をくりかえす(転)ことをいいます。死んだ後に、また生まれ変ってこの世に現われてくるということです。これは、お釈迦さまの時代、紀元前のインドでおこった考え方です。では、どうしてインドでこういう考えがおこったのでしょう。
インドは暑い国です。たとえばベンチで腰かけていた人が立ってどこかへ行くと、別の人が前の人の坐っていたのと同じ場所にわざわざ坐るといいます。普通は前の人の生暖かさが残っていて、何だかイヤだという感じがしますが、インドでは人が坐っていたところは日蔭となっていたところですから、そこに坐るとベンチがひんやりとして気持がいいのだそうです。さらに乾季は雨がふりませんから、村から遠く離れた井戸へ水を汲みに行くのですが、何回も往復して、午前中はそれで時間がつぶれてしまうほどだったといいます。
そのように住みにくくて病気も多く、四十歳ともなれば灼熱の地における体力の消耗で、老化して亡くなってしまう。すなわち「老・病・死」が、人々の生きてあることのはかなさを見せつけるように、次々と身近におこっていた。これでは人生は苦で、たまったものではありません。苦しみのみ多く寿命の短い人生は、さぞかしつらいものだったでしょう。
そのようにあまりにもはかない人生に、何か希望を与えてほしいという願いが自然におこるのは当然です。その要求にこたえたのが「輪廻転生」という死生観でした。すなわち、たとえ死んでも魂が再び形をもって、この世に生まれ変わることができるという考え方です。もちろん、再び生まれ出てくる世界は苦の世界です。それでも、またこの世に生まれ変わることができると思えば、あまりにも短い人生も慰められるでしょう。それに、前よりもよい形で生まれ変われるかも知れないとの期待を持つこともできる。
そういうインドの風土を土台として、お釈迦さまは、ちょうど車の輪がぐるぐると廻るように、苦しみの「輪廻転生」の世界を生きる人々を、その苦しみの輪から解き放つ道、つまり「輪廻転生」からの解脱(げだつ)を人々に説きつづけ、そしてみずからもまた、この「解脱」に成功した代表者である「仏」となったのでした。つまり釈尊の「解脱」とは、人生から逃げることではなく、逆に現実の中で力強く生きることを教えたのでした。 |
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