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さむきには火を財(たから)とす |
日蓮聖人が五十八歳の時の弘安ニ年(一二七九)八月八日、身延山から駿河の国上野の住人で信徒の南条時光にあてた「上野殿御返事」(定一六五三)というお手紙があります。上野の住人なので南条氏のことを上野殿といったのですが、このお手紙は、食べ物が乏しい身延山の日蓮聖人のもとへ、銭一貫、塩一俵、芋一俵などを送ってもらったことへの御礼のお手紙で、そのなかで「この山の中では食べ物、ことには海の塩を財(たから)としている」と述べられて、塩一俵を送ってくれたことに特に感謝の気持ちを表されています。
後世、上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いにおいて、海を領地に持っていて塩の豊富な上杉謙信が、塩の不足する山中、甲州の武田信玄に塩を送った話は、「敵に塩を送る」という言葉が残されたほど有名な話ですが、身延山中の日蓮聖人にとっても塩の贈り物は、特に嬉しかったようですね。そのお手紙では「山中には、竹の子や木の子はいっぱいあるが、塩がなかったらその味わいは土のようなもの」(同)であると述べ、また「あつきには水を財(たから)とす、さむきには火を財とす。(原文)」としるされました。
「あつきには水を財とす」。たとえば真夏の暑い太陽が照りつけるとき、たき火の火をもとめる人はいませんね。そのときには冷たい水を最高の財と感じます。逆に「さむきには火を財とす」。寒い時には火のあたたかさが最高の財でしょう。これも道理です。『法華経』では「諸法実相(しょほうじっそう)」(方便品第二)といって、すべての存在(諸法)をあるがままのまこと(真実)の相(すがた)として、肯定的に生かすことの大切さを教えていますが、実はそのことが、やさしいようでもっともむつかしいことなんですね。
「あつきには水を財とす、さむきには火を財とす」というお言葉に教えられます。 |
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