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知識と智恵 |
現代は情報化社会といわれています。「情報」という言葉が氾濫し、その「情報」を得るための機器も、テレビ、コンピュータ、パソコンをはじめ、性能のすぐれたものが後から後からと製品化されています。
しかし「情報」をいくら多く知っても、それを活用しなければ、ただ知識が多く増えただけということにとどまってしまいます。むつかしいのは情報を処理し、いかにそれを活用していくかということですね。
古い話で恐縮ですが、豊臣秀吉が信長の命令で岡山に陣を張り、毛利氏と戦っている最中に、主君の織田信長が京都の本能寺で、臣下の明智光秀の謀反によって殺されてしまいますね。この時「信長死す」の情報を先につかんだのは毛利方だったんですが、その使者が秀吉方によって捕えられ、秀吉は運よく毛利方より先にそのことを知ることができたんです。
そこで秀吉は、突然のことにもうビックリして自分を見失うんですが、それもほんの短い間で、すぐに立ち直ってその情報を有利に活用するわけです。まず、毛利方がその情報を得る前に巧みに手を打ち、講和をむすんでしまいます。こうして後顧の憂いを断っておいて、次に誰も予想できない素早い行動力で取って返し、秀吉の行動に関する情報を入手できず、後手にまわって万全の策をとれなかった明智光秀を、あっという間に打ち破って主君の仇を討ってしまい、天下取りの第一歩を築きあげることができたんですね。
「知識」というのは「ある事柄についていろいろ知ること」ですが、「知恵(慧)」というのは「物事の筋道がわかり、それをうまく処理していく能力」のことです。仏教は「知識」よりも「知恵」を大切にしろと教えます。それはむつかしいことですが、何とか知恵をみがくことを心がけたいですね。 |
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