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山岡鉄舟の墓参り |
幕末に活躍した人物の中で、幕末の「三舟(しゅう)」といえば、勝海舟(かいしゅう)、山岡鉄舟(てっしゅう)、高橋泥舟(でいしゅう)の三人のことです。これは、その山岡鉄舟の二十才の頃の話です。
後に武芸の達人といわれた山岡鉄舟こと鉄太郎は、山岡静山の門に入り鑓術(ヤリ)を習っておりました。ところが、その師匠の山岡静山が友の危急を救うために隅田川で水死してしまうのです。鉄舟は、昼の修行のあと毎晩欠かさず、尊敬していた師の墓参りをしていました。ところがお寺では、その鉄舟の姿を見間違えて、静山の墓に毎晩妖怪が出ると思い込み、山岡静山の実弟である高橋泥船(前述の三舟の一人)に連絡します。そこで泥舟は、妖怪をとっつかまえてやろうとして、ある夜、墓場で待ち伏せをしていました。
ところが、突然雷光(いなずま)が走って激しい雷がゴロゴロと鳴りだし、ザーッとものすごい雷雨が大地をたたきつけはじめました。それはとても立っていられないほどの激しさでした。
すると、どこからか一人の男が静山のお墓に走り寄って一礼するなり、自分の羽織を脱いで静山の墓にかぶせて、「先生、ご安心下さい!鉄太郎がおそばにいます」と叫んで、濡れるのもかまわずズット墓のそばに仕えていたといいます。高橋泥舟はそれが鉄太郎だと分かって、涙を流して感動したということです。静山は槍術の達人でしたが、雷が大嫌いで、雷が鳴るといつも頭から布団をかぶって震えていたほどだったそうです。
死んだ人間、ましてや墓石が雷をこわがるわけはないのですから、現代人の理屈で考えれば、このエピソードは非合理的でくだらないと一蹴されそうです。けれども鉄太郎のこの行為は、現代人が見失いがちな人と人、心と心のまことのむすびつきをあざやかに示していないでしょうか。
のちに鉄太郎は静山の後を継ぐべき相続者に選ばれ、養子となって山岡姓を名乗り、山岡鉄舟と呼ばれるようになりました。
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