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地獄に堕(お)つ |
「地獄」というのは、字引きをひきますと「自分の行った悪業によって、衆生が赴くと考えられる地下の牢獄のこと」とあります。あるいは「仏説で、生前悪い事をした者が死後に落ちて苦しみを受ける所」などとしるされています。
仏教では普通は、極楽の反対を「地獄」といい、キリスト教でも天国に対して「地獄」があるようです。また「地獄の沙汰も金次第」「地獄部屋」「受験地獄」「地獄で仏」「地獄の釜のふたもあく」などといった使われ方をされています。
仏教では「八大地獄」というのが代表的です。これは等活(とうかつ)、黒縄(こくじょう)、衆合(しゅうごう)、叫喚(きょうかん)、大叫喚、焦熱(しょうねつ)、大焦熱、そして無間(げん)地獄の八つです。平安時代の天台宗の僧、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)(九四二−一〇一七)は「往生要集(おうじょうようしゅう)」という著述をあらわして、この八大地獄の恐ろしさを克明に書きしるし、浄土を願うことを主張しました。そこで描かれた地獄は、最初の等活地獄ですら大変な恐ろしさです。この地獄に堕ちた人々は、相手をみればみな敵と思いこみ、お互いに鉄の爪でつかみあい、肉をさきあい、血だるまになって、ついには骨だけになると、地獄の番人がその骨を鉄棒で打ちくだいて砂の塊にしてしまう。しかもそれで終りではなく、カァーッと風が吹くと、バラバラになった身体は超ホラー映画のようにたちまちもとに戻って、また同じ苦しみを最初から受けるんです。
日蓮聖人も「ものの命を断つもの此の地獄に堕つ」(定二四八)と述べられました。この場合、「ものの命」という中には、蟻(あり)一匹、蚊(か)一匹も含まれます。地獄に堕ちる第一の原因は、生きとし生けるものの命を断つこと、つまり「殺生(せっしょう)」にあるというのです。殺生の罪はことのほか重く大きいというのです。
それが何であれ、ものの生命を断つことは、相手の存在を認めず、相手の存在を全面否定することにほかなりません。逆にいえば、自分の立場のみを全面肯定する振る舞いである。それはこの世に共存共栄をもたらす道ではなく、対立と抗争をもたらす道以外の何ものでもない。故に地獄に堕ちる道である。仏教はこう語りかけるのです。いいかえれば、相手を殺す道ではなく、相手を生かす道を歩め、というのが仏教の切実なメッセージなんですね。 |
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