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08.06.30
 
 
夫婦とは
夫婦の在り方というのは千差万別で、百組あれば百組、千組あれば千組の夫婦の在り方があるでしょうから、具体的に言ったらキリがありません。夫がエバっている夫婦、逆に妻がエバっている夫婦、気短かの夫にのんびりやの奥さん、細身の夫に太った奥さん。あるいはグータラ亭主に働き者の奥さん、年上女房に甘えん坊の夫等々、ほんとにいろいろです。どういう取組みであれ、基本的には夫婦仲がよければそれでいいわけで、この取組みがよくてこれはダメ、ということはないと思います。

日蓮聖人は、夫婦の在り方についてもいろいろと述べておられますが、ここでは次の三点についてふれてみたいと思います。
第一に、妻は夫を信頼して頑張っていきなさいということについては、たとえば「いへ(家)にをとこ(男)なければ人のたましゐなきがごとし」(定一七六二)とか、「女人となる事は物に随(したがっ)て物を随へる身也」(定九三二)といって女性を励ましておられます。これを読み替えると、初めから夫のことをダメだと思うのではなくて、「女人となることは、夫にしたがって夫をしたがえる身となることである」ということですから、つまり、夫を信頼することが大事ですよということになります。

第二は、逆に夫の働きのかげで、夫をささえ動かす妻の力の大切さについては、「や(矢)のはしる事は弓のちから、(中略)をとこのしわざは女のちからなり」(定一一四七)と言われています。

つまり日蓮聖人は、夫だから男だから、あるいは働きがあるから女より偉いとか、逆に妻が働きがあるから夫より偉いとか、そういう夫婦の在り方についての固定観念は全く持っておられなかったのです。夫婦の在りようはそれぞれの夫婦によって千差万別であっていい、ただ大事なことは夫婦が信頼しあうということですね。

そこで第三は、夫婦がお互いを尊重し合って暮らすことの大切さについてですが、それについては、夫婦を一羽の鳥にたとえて次のように言われています。

「をとこは羽のごとし、女はみ(身)のごとし。羽とみとべちべち(別々)になりなば、なにをもんて(以って)かとぶべき」(定一七六二)。夫婦が別々になったら飛ぶことはできない。だから「女人はおとこを財(たから)とし、おとこは女人をいのちとす」(定一六二一)ということがもっとも大切である。

夫婦がおたがいを「財(たから)」とし、「生命」とするような、何ものにもかえがたい存在として尊重しあい、大事にしあう結びつき。それこそ夫婦のあるべき姿であると述べられました。
 
   
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