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寛容とは |
「我」の強い人っていますよね。何んでもかんでも自分の考えや主張を通さないとすまない人。自分の考えや思いだけが絶対に正しくて、他人の考えや思いはみんな間違っていると頭から信じている人。ですから「我」を通し「我」を張るという人は、人からきらわれますし、自分本位の都合、自分勝手の考えに陥(おちい)って「ひとりよがり」になる危険性があります。男性はもちろんのこと、女性にもそういうひとがよくいますよね。
電話相談で離婚の話など聞いていると、悪いのはみんな夫だといわんばかりに、夫の悪口だけを並べ立てて話す女性がいますが、思わず、貴女はどうなんですかと言いたくなります。
仏教では「寛容」ということを大事にしろと教えていますが、「寛容」というのは、一般的にいうと「心が広くて人をゆるすこと。また、心が大きくて人の言うことを受け入れること」となりましょうか。
『法華経』では、いろんな異なった教えは、仏が人々を導くための方便の教えであって、それぞれにみんな価値があるんだというふうに、包容して認めることを説いています。そういう意味でいえば、「寛容」というのは、ものごとをこうと決めつけないで、相手の立場や考えを理解すること、少なくとも理解しようとつとめることだと思います。
最近ブームになっているスポーツにサッカーがありますが、手を使わずに足でボールを蹴って得点を競うスポーツがサッカーですね。そこである人がサッカーファンに「サッカーは手を使えないから不便なスポーツですね」と言ったら、「手以外ならどこでも使えるんだよ、頭もね」と言われたそうです。また、ラグビーはボールを持って相手のゴールへ入れるスポーツですが、攻め込む方向に向って、自分より前へボールを投げてはいけないんですね。そこである人がラグビーファンに「ラグビーはボールを前へ投げられないから不便なスポーツだね」と言ったら、「ボールを抱えて、どこへでも走っていけるスポーツはほかにはないよ」と言われたそうです。
人は知らず知らずのうちに、自分の見方や考え方、あるいは感じ方からのみ、ものごとを見たり判断したりしがちですが(それはそれでいいのですが)、自分の立場を押しつける前に、まず相手の立場を理解しようとつとめることが、人間関係にとってはことに大切ではないでしょうか…。 |
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