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  日蓮聖人に学ぶ「こころ」「ことば」「ふるまい」 --- 地涌塾 説法「最新の説法」  
 
08.08.18
 
 
化城(けじょう)
『法華経』によると、釈迦牟尼仏のこの世のでの願い・目的はただ一つ、衆生をして「無上道」、つまり「この上ない唯一のすばらしい道」に入らしめようということであった。それが釈迦牟尼仏の究極の目的(願い)であったと説かれています。このことを乗物にたとえて、仏がこの世に出られた目的はただ一つ、唯一のこの上ない仏の乗り物をしめすためであった。したがって、その他の第二・第三の乗り物のことを語ったのは方便であって、最後に唯一の仏の乗物にみちびくためであったのだ。そのように示されています。

『法華経』のなかで説かれている乗り物には、羊の引く車や鹿の引く車、さらに牛の引く車のすばらしさが出てきますが、それらはみな最後の「大白牛車(だいびゃくごしゃ)」のすばらしさに人々を導くための方便であったというのです。つまり、羊や鹿や牛の引く車もそれぞれに立派なものであるが、しかしそれを最後の目的として語ったのではない。「大白牛車」=大いなる真白なすばらしい牛の引く車に人々を導くための方便として、第二・第三の乗り物のことを説いたのだということです。

このことを、『法華経』の「化城喩品(けじょうゆほん)第七」では次のような譬話(たとえばなし)をもって説いています。

はるかな限りない道のりの、険しい危険な道をたどって、多くの人々がすばらしい宝物のある所をめざして歩みを進めていた。ところが人々は道の途中でいやになり、「疲れもピークだ、道もけわしくてまだはるかだ、もうこれ以上進めない、もう引き返そう」といいだした。それを聞いた一行の智慧のすぐれたリーダーが、神通力をもって道の行先にひとつの城を出現させて人々に語った。「さあ、目的はすぐそこだ、あの城まで行けばすばらしい宝物を手に入れることができるぞ」と……。人々は歩みを早め城に入って、ゆっくりとその疲れを取り、安らかな想いにみたされ、また元気をとりもどした。するとリーダーは、そのお城を消して人々に告げた。「さあ、みんな出かけよう。宝物のある所はもうすぐ近くだ。このお城は、みんなを休息させ元気づけるために、私の力で仮りにみんなに見せたものだったのだ」と。

この譬話の意味するものはいろいろに受けとれますが、大切なのは、いつも最後の宝物のある城をめざすということです。そのためには、仮りと思われた城でも、道のりのなかの大切な一つの城であるということに気がつくことも重要です。そして、最後に本当の宝物をめざさなければなりません。羊や鹿や牛の引く車も立派ですが、それは最後の車ではないのですから……。
 
   
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