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沙(いさご)に金(こがね)をかへ |
日蓮聖人は「さいわひなるかな、法華経のために身をすてん事よ。くさきかうべ(臭頭)をはなたれば、沙(いさご)に金(こがね)をかへ、石に珠をあき(貿)なへるがごとし」(定九六三)と仰せられました。
幸わせなことである、法華経のために身を捨てることができるということは。この臭い頭(凡夫の迷いに満ちた肉体)であっても、法華経のためにその首を切られるのであれば、それはあたかも、つまらない砂つぶを金(きん)に変えるようなものであり、くだらない価値のない石を宝石と交換するようなものである…。
日蓮聖人は三十二歳の時に立教開宗を宣言され、『法華経』の教えを弘めるために、そのすべてを捧げられました。生命の危険におよんだ大難が四度(よたび)、小難は数知れずというご生涯でしたが、五十歳の年には鎌倉で捕らえられて市中を引きまわされ、龍(たつ)の口(くち)で深夜ひそかに暗殺されようとされました。そのときのことを、その後の佐渡流罪の中でしるした遺言ともいうべき「開目抄(かいもくしょう)」というご文章の中で、「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土(佐渡)の国にいたりて…」(定五九〇)と述べておられます。
日蓮という名前の者は、去年(文永八年)九月十二日の深夜に頚をはねられてしまって、もはやこの世にはいないといってもいいのである。(流罪の身としてそこにいるではないかといわれるかもしれないが)ここにいるのは日蓮の魂魄、たましいともいうべきものなのである…。このように日蓮聖人は仰せられたわけですが、これこそまさに「沙に金をかへ、石に珠をあきなへる」姿ですね。
日蓮聖人は私どもに、『法華経』に身命(しんみょう)を捧げることによって、たとえ凡夫の身であっても、価値ある自分に生まれ変わることのできる生き方を示されたのです。それが「沙に金をかへる」生き方です。どうしてそれが可能なのか。それは、『法華経』が釈尊の至上の教え、釈尊の魂そのものであることを、日蓮聖人が確信されていたからでした。 |
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