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大聖人と“ふとん” |
日蓮聖人は弘安五年(一二八二)、六十一歳で亡くなられましたが、晩年の九ケ年間は山梨県の身延山に入られました。亡くなられる前の年には「はらのけ」といって胃腸の病に悩まされておられましたが、そんなある日、信徒の一人が大きな荷物をたずさえて大聖人の下を訪れました。
「実は前々より大聖人のお身体を案じておりましたが、せめて夜には、お身体をあたためてやすらかにお寝みいただきたいものと思い、今日は新しいふとんを持参いたしました。どうかお使いいただけますように」。「おおそうか、それはかたじけない。私にはもったいないようなあたたかそうなふとんだが、有難く使わせていただこう」。日蓮聖人が心よく受けられたので、お弟子の日朗上人は、その夜早速、その寝具をお敷きになられました。
夜半のこと、日朗上人は、大聖人のお部屋の方から聞こえてくる静かな読経の声で眼をさまされました。「こんな夜ふけにどうなされたのだろう」。不審に思った日朗上人が大聖人のお部屋にうかがってみると、大聖人は夜半なのに衣と袈裟をきちんとつけられ、かの新しいフトンにむかって静かにお経をあげられているのでした。
読経の終わるのを待って日朗上人は大聖人にたずねました。「大聖人さま、いかがなされたのでしょうか」。「起こしてしまったか。いや別に子細はない。実はふるさとの小湊を十二歳の時に出て以来、法華経の教えを弘めるためとはいえ、一度として両親のそばに仕えることができなかった。死の床にも父と母の葬儀にも出られなかった。苦労をかけ通しの親不孝者で、両親にはつらい思いばかりさせてしまった。父母の孝養心にたらずじゃ。こんなやわらかなふとんに、一度も両親を寝かせることができなかったのに、その私がこのふとんを先に使うというのは、何とも申し訳ないような気がして…」。
こう語って大聖人の言葉が途切れました。涙をこらえられたのでしょうか…。日朗上人がふと、枕の方に目をやると、そこには大聖人のご両親のお位牌が、あたかも、これからこのふとんで寝もうとされているかのごとくに、置かれてあったということです。 |
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