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耐え忍ぶ(忍辱行) |
仏教で大事にされる六つの行いの中に「忍辱(にんにく:にんたい)」「耐え忍ぶ」という教えがあります。戦争中とは違って、物質的にめぐまれている現代では、「耐え忍ぶ」とか「辛抱する」ということは時代にそぐわない言葉のように聞こえますが、決してそうではないと思います。
人は必ず何かの目標、めざすものを持っています。大きな目標から小さなな目標まで、おいしいものを食べたい、恋人をつくりたい、会社で出世したい、家を建てたい、みんな仲良くしたい等々、人さまざまですが、その一つの目標を達成しようとすると、いろんな障害にぶつかります。それは誰もが経験することですが、もしその障害物から逃げてしまったり、投げだしてしまったりしたら、その目標は永遠に達成することはできなくなります。
仏教でいう「忍辱(耐え忍ぶ)」という教えは、「我慢する」という静止的・消極的な行いにとどまるのではなく、そこを出発点として、目標を達成するために障害物をのぞいていく能動的・積極的な行いのことを教えているんですね。障害物の前にじっと立ちつくすのではなく、目標を達成するために、障害物をのりこえて一歩踏みだしていく、その行動の内側にあるエネルギーこそ「耐え忍ぶ」という仏教の教えなんです。
「忍」という字は、辞典によれば、「つらいことをねばり強く持ちこたえる」という意味だそうです。「忍」という字は「刃(やいば)」の下に「心」と書きます。「刃」は、ねばり強くきたえた刀の「刃」を意味していますから、ねばり強く持ちこたえる心が「忍」なのでしょう。ですから「耐え忍ぶ」という教えは、いいかえれば「持続性」を大切にしなさいという教えでもあるのです。
日蓮聖人は、のちに自分の行為をふりかえって次のようにのべられました。
「今、日蓮は去ぬる建長五年四月二十八日より、今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間、又他事なし。只、妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計り也。此即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(定一八四四)と。 |
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