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自我偈の事 |
日蓮聖人の有力な壇越(だんのつ:信徒)の一人に、曽谷教信(そやきょうしん)という武士がいました。下総国(今の千葉県)八幡蘇谷郷(やはたそやごう)に在住して、日蓮聖人より「法連(ほうれん)」という法号を授けられるほどの信仰の篤(あつ)い人物で、日蓮聖人より漢文体の内容も高度な書状が送られているところからみても、かなりの教養をもっていたことがわかります。
その法連は、亡き父の十三回忌にあたり、法華経一部八巻二十八品を五回繰り返し読経して(五部転読(てんどく)といいますが)、供養のまことを捧げました。しかもそればかりではなく、父が亡くなってから十三回忌にいたるまで、一日もかかさず毎朝「自我偈(じがげ)」を唱えて回向(えこう)しました。
「自我偈」というのは、お経の中野王様といわれる『法華経』の中のもっとも大切な、如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六の「自我得仏来」から始まる「偈文(げもん)」のことをいいます。そこには永遠不滅の釈尊がいつどこにあっても私たちとともにあって、慈悲にあふれたあたたかいまなざしで見守り導いてくれていることが説かれています。
「法連法師は、毎朝かならず自我偈を唱えておられるとのこと、それは口から金色(こんじき)の文字を出(い)だされているのと同じです。この金色の自我偈の文字は五百十字です。その一つ一つの文字の金色の輝きは、光をまして太陽となり、さらには釈迦如来の輝きとなり、大光明をはなって、下は大地をもつきとおし、四方は東西南北のすべて、上に向ってははるかかなたの天界までも照して、どこであろうとも亡き父君の聖霊(しょうりょう)のおられるところまでたずねて行って、聖霊にむかって、私を誰と思われますでしょうか、私はあなたの子供の法連が毎朝唱えておられます法華経の自我偈の文字です。この文字は、あなたの眼ともなり、耳ともなり、足ともなり、手ともなって(あなたをお守りして)いるのですと、ねんごろに語るでありましょう……」(定九五〇、私訳)。
こう日蓮聖人は曽谷殿への手紙で語られたのでした。 |
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