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悟 り |
「悟り」という言葉をご存知ですね。一般的にいえば、「あゝそうだ」とか「あゝそうだった」と気づくことを言います。たとえば「君はさとりが速いね」とか、「あなたはさとりがにぶいね」などと言えば、あることに気づくことが速い、あるいは気づくことが遅いという意味ですね。
仏教で「悟り」といえば、「心の迷いが解けて真理を会得すること」を言います。それを「悟りを開く」などとも言います。ですから仏教の開祖、釈迦牟尼仏のことを、悟った人という意味で「覚者(かくしゃ)」などとも言うのです。
「一灯千年の闇を破る」という言葉があります。一千年も続いたくらやみも、一つの灯(あかり)がつくことによってパッと明るく変わる。そのように一つの「悟り」というものは、それまでの長いくらやみを一瞬にして明るく変える力があるのです。
たとえば日蓮聖人は「人の寿命は無常なり」といわれました。簡単に言えば、人間はいつ死ぬかわからないということですが、その「人の寿命は無常なり」という言葉が人間の真理、まことのことわりであるといわれるのです。そんなことは言われないでも分かっていると思うかも知れませんが、理屈として頭で理解していることと、心の奥深くで本当にそうだとうなずくように悟ることとは違うんですね。
たとえば、もっとも愛する一人娘に先立たれた母親、交通事故で一瞬にして命を落とした高校生の両親、ガンの進行が速く一ヶ月たらずでこの世を去ってしまった夫の妻。そういった人たちは「人の寿命は無常なり」という真理(まことのことわり)を、自分のこととして心の奥底で悟るに違いありません。それは、別離のつらい日々の悲しみの中から、「人の寿命は無常なり」という真理の扉が開き、そこからひとすじの明るい光が身体いっぱいにふりそそいで、あゝそうだったのかと、心から悟ってうなずく。そんなことであるに違いありません。
「悟り」とは何か特別のことに気づき、何か特別の人に変るのではなく、あたりまえのことを、あたりまえのこととして気づくことなんですから。 |
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