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再 生 |
人間の「死」というものは一回だけである。そのように考えるのが普通ですね。歳をとって寿命が来て臨終を迎え、この世の人達にお別れをして死んで行く。それが通常の「死」です。最近では心臓が止まることよりも、「脳死」を人間の死の基準にすることが議論されていますが、いずれにしろ肉体的な「死」は人生の中で最後の一回ですね。
しかし人間は、「精神的な死」というのを誰でもいくたびかは経験します。それを経験するということが、人間的な成長にとって不可欠のものなんですね。
「再生」……精神的に生まれ変わること。ふたたび生きること。蝶が毛虫の時代を終えると美しい蝶に生まれ変わるように、以前の自分が死んで、新しい自分に生まれ変わる。肉体の生命はずっとつづいているんですが、精神的に再び生まれ変わるという経験は、人間にとって大切なものといえます。
たとえば、「女の子」から「女性」になることは、肉体的に子供が生める女性になったということのみではなく、精神的な「女の子の死」を意味します。あるいは「男の子」が両親のもとを離れて、自分の月給で初めて生活することができたら、それは単に独立したというだけでなく、「男の子としての死」を意味します。そうならないで、中途半端に生まれ変わってしまうと、月給じゃたりないから、と言っていつまでも親のスネを噛ることになる。
ですから、一人の女性が結婚して妻になることは、半面、その女性の「乙女としての死」を意味することになります。その「乙女としての死」をしっかりと受けとめないと、結婚して一年もたたないのに離婚、という騒ぎにさえなります。お互いに愛し合っているから、というだけで済まない、いろいろな問題がおこってきます。
子供を生んで母となり父となる。単に夫であり妻であった自分というものが、そこで親に生まれ変らなければならない。これは最近、私の身近にいる若い夫婦に起こったことですが、最初に男の子が授かったから、今度は女の子が欲しいと思っていたところ、月満ちて生まれた女の赤ちゃんは、不幸なことに死産であった。若い母は本当に小さいお骨を抱いて、「いつまでも自分のそばにおいておきたい」といって涙にくれている。
しかし、その悲しみの中から、つらい思いをみつめつつ、ふたたび生まれ変らなければ……。一日も早く生まれ変ってほしいと切に願わずにはいられませんでした。 |
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