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什公長安に来たる |
『観音経』は『法華経』というお経の中の一章で、フルネームは「観世音菩薩普門品第二十五」といいます。
この訳者は西域チベットの僧で鳩摩羅什(くまらじゅう)という仏教の歴史では有名な人です。生まれは今風にいえばシルクロード、天山南路のオアシス、クチャ国の王族の生まれです。
羅什は幼い時から聡明で各地に遊学し、ことにインドに留学して語学と仏教を学んで、その名前は中国の都「長安」にも知れわたり、時の前秦王はどうしても羅什を都に招きたいと、軍隊を派遣して迎えに行かせます。
クチャというところは、今でも北京からジェット機で約四時間かけてウルムチに着き、そこからさらにタクラマン砂漠と天山山脈にはさまれた道を一千キロ行ったところですから、当時としては大変な行程です。おまけに途中で前秦王国は亡ぼされてしまって、それから十八年後に、後の王様によってようやく長安の都に迎えられることになります。それは西暦四〇八年のことです。羅什はここで国家最高の宗教顧問、教育顧問として『法華経』をはじめとして、たくさんのお経を中国語に翻訳しました。それが名訳なので、千五百年後の今でも羅什が訳した『観音経』を「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)……」と読んでいるわけです。
当時「什公長安に来たる」の報は中国全土をかけめぐり、その教えを慕って各地より集まる学者、人々、跡を絶たずというにぎわいだったそうです。 |
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