「ブッダのことば」の中で、「慈(いつく)しみ」について、次のようにかたられています。 |
( 1 ) |
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ |
( 2 ) |
あたかも、母が己(おの)が独(ひと)り子(ご)を命(いのち)を賭(か)けても護(まも)るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起すべし |
( 3 ) |
立ちつつも、歩みつつも、生しつつも、臥(ふ)しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりとたもて・・・この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ |
日蓮聖人は、「法華経」にその姿をあらわされた「久遠の仏」が、つねに「大慈悲を起(おこ)して」私たちを包み、導いていると告げられました。 |