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09.01.30
 
 
阿仏房と大聖人
日蓮聖人の信徒に佐渡の阿仏房(あぶつぼう)という人物がいます。もとは承久の乱で佐渡へ流された順徳上皇に仕えた武士で、遠藤為盛といい、上皇が佐渡の真野でお亡くなりになると、入道して御陵のかたわらに庵を結び、上皇の冥福を祈って三十年、ひたすらに南無阿弥陀仏と念仏を唱えつづけたので、誰いうとなく阿仏房と呼ばれるようになったということです。妻は千日尼(せんにちあま)といいますが、この妻も、上皇の京の都を恋い慕う気持ちを思って、一日も早く上皇が都へ帰ることができるようにとの祈りをこめ、真野の海にて一千日の間、水垢離をとって祈願したので、人々が尊敬の念をこめて千日尼と呼んだといわれています。ともに真心を持ったすばらしい夫婦です。

ところで日蓮聖人が佐渡へ流罪となり、塚原(つかはら)の三昧堂(さんまいどう)に在りということを聞いた阿仏房は、「念仏無間(むけん)という日蓮は阿弥陀仏の怨敵」と日蓮聖人を殺そうと迫ったのですが、逆に日蓮聖人の人格に打たれてその教えに感銘し、夫婦共々日蓮聖人に帰依してしまいました。それからは、罪人として食べ物にもこと欠く日蓮聖人のもとへ、人目をはばかって食物を運びつづけたのでした。

のちに日蓮聖人は流罪を許されて身延山にお入りになりますが、日蓮聖人を慕う阿仏房は、佐渡からはるばると三度も身延山の日蓮聖人のもとを訪れています。

第一回目は文永十一年(一二七四)、阿仏房八十六歳の時。第二回目は、次の年の建治元年で八十七歳の時。第三回目は、それから三年後の弘安元年、実に阿仏房九十歳の時でした。この時は七月六日に佐渡を立って、七月二十七日に身延に着いたと書かれています。佐渡から身延までの行程は今でも大変ですが、その当時、佐渡から海を渡り、さらに山河を越えながら歩みを進めての二十日間の旅路は、並大抵のことではありません。しかも阿仏房の年齢を思うとき、どうしても大聖人にお目にかかりたいという一心の、ただごとならぬ願いが感じられます。

翌弘安ニ年三月二十一日、阿仏房は九十一歳で亡くなりましたが、その年の七月には息子の藤九郎守綱が、父の遺骨を首にかけて佐渡より身延山にまいり、大聖人に親しくご回向をたまわって、ご草庵の奥、やはり信徒であり九十歳で亡くなられた、富木さまのお母さまのお墓に並んでご遺骨を葬ったのでした。

「子にすぎたる財(たから)なし」(定一七六五)とは、翌年七月の登詣の時、大聖人が息子の藤九郎守綱を讃えて述べられたお言葉でした。
 
   
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