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富める者と貧しき者 |
まずお金にかんすることわざから
「金で面(つら)を張る」
札束に物を言わせて、人を屈服させたり手なずけたりすること
「金の切れ目が縁の切れ目」
お金のあるうちはチヤホヤされるが、お金がなくなると途端にそっぽを向かれる。お金のなくなるときが、つながりの切れるときだということ
「金は天下の回り物」。
たとえ今は貧乏でも、いつかは自分にもお金がまわってくることもあるだろう、という楽観的な考え方。
「金持ち、金使わず」。
金持ちは大体においてけちだ。また、金持ちはむだな金は使わない。
「金持ち喧嘩せず」。
金持ちは何事にも余裕があるからむだな争いごともしなくて済む。
「人間万事金が世の中」。
お金がないと困りますが、こうなっては寂しいですね。
「盗人に追い銭」。
泥棒に金を盗まれたうえに、さらに余分な金をくれてやることから、損のうえにさらに損を重ねること。
「時は金なり」。
時間は金銭と同じように貴重だから、有効に使えということ。
「苦労して働いて得たお金をお宝といい、苦労しないで得たものをお足という」。悪銭身につかずとはこのことです。
このように、昔からお金についてのことわざはたくさんありますが、最近読んだ鎌田行学上人の本に、こんなお金についての言葉がありました。
「お金は大事な時に使って、使ってはならない時に使ってはいけない。自分だけの楽しみでお金を使うのでは駄目です。皆さんが喜ぶ事に出さずに、しっかり貯めるのは餓鬼道というのです。お金は貯めるためにあるのではない、使うためにあるのです。但し、使ってはならないことに使うと破産する、道が違うからです」。「同じお金を使っても、そのお金が大変大きく回せる人と、賭け事のように、家庭のもめるようなお金しか使わない人がいる。同じ使っても人が喜び、家のものが喜ぶなら、これは功徳になる」。(鎌田行学『生きがいとは何だろう』妙恩寺発行)
結局、その人が豊かであるかどうかということは、その人の生き方にあるということでしょうか。
お金に縁遠く、世間的にはもっとも貧乏だった日蓮聖人は「当世日本国に第一に富める者、日蓮なるべし。命は法華経にたてまつり、名をば後代に留(とど)むべし」(開目鈔)と申されました。また、「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば、一閻浮提(いちえんぶだい)第一の富める者也」(定一六四九)とも言われています。 |
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