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『立正安国論』解説(第一回)
 
     
 
執筆の動機 〜相次ぐ災害の原因を考える〜
旅客来りて嘆《歎》いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬瓜に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩、すでに大半に超え、これを悲しまざるの族、あえて一人もなし。
日蓮聖人が鎌倉に草庵を結ばれた頃、鎌倉では大きな自然災害が続きました。建長5年(1253)2月25日の地震をはじめ、毎年のように飢饉・地震・疫病などが絶えませんでした。中でも正嘉元年8月23日の大地震は、まことに凄まじいものでありました。その当時の様子が書かれている『吾妻鏡』によると、神社や、人屋、山岳は崩壊し、大地は裂ける。と被害の大きさを記しています。このような状況をまのあたりにした日蓮聖人は、仏法が盛んな国において何ゆえに災難が続き、人々が苦しまなければならないのか、と深く悲しみました。日蓮聖人はその答えを一切経に求め、駿河国岩本の天台宗実相寺に赴き、経蔵に入り一切経を閲読しました。そして、相次ぐ災難の起因を突き止め、『立正安国論』の執筆に取りかかりました。
内容 〜正法への帰依〜
汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ。しかればすなわち三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく、土は破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。この詞、この言、信ずべく崇むべし。
『立正安国論』は旅客と主人とが問答を交わすという形式で執筆されています。
日本国で次々と起こる災難の原因は、「人々が正法に背き悪法に帰依したために、国を護る善神は国を捨て、聖人は国を去ってしまった。代わりに悪魔や鬼がやって来て災難を起している。日本国は、仏法の盛んな国に見えるが、正法を破り、国を破るものがいる。浄土宗の法然こそが謗法の人であり、法然の『選択集』こそが謗法の書である。もし邪法をこのまま放置すれば経典に説かれる数々の災難が必ず起こるであろう。」と述べており、
「日本国中が速やかに改心して正法(法華経)に帰依すれば、私達の住んでいるところは仏の国になり、宝土となる。」と真実のお経、法華経への帰依を強く説いています。
『立正安国論』を完成させた日蓮聖人は文応元年7月16日、当時鎌倉幕府の最高実力者であった、最明寺入道北条時頼に上奏しました。しかし幕府は『立正安国論』に対して何らの返事も示しませんでした。更にこの立正安国論によって数々の法難が日蓮聖人に降りかかることとなったのです。
日蓮聖人にとって『立正安国論』とは
弟子一仏の子と生まれ、諸経の王に事う。何ぞ仏法の衰微を見て、心情の哀惜を起さざらんや。
『立正安国論』は日蓮聖人の残された三大御遺文の一つといわれています。
日蓮聖人は何度も、『立正安国論』を執筆されており、また幾たびも書写・増補され、聖人が書かれた多くの御遺文の随所に『安国論』の語り、『安国論』の文が引用されています。
日蓮聖人は文応元年、文応5年の2度にわたって幕府の権力者に『立正安国論』を上奏しています。
聖人は『撰時抄』という御遺文の中で「余に三度の高名あり」と、三度の諫暁を高名と讃えており、その文応元年の上奏を第一度目の諫暁としております。
日蓮聖人は弘安5年10月13日にお亡くなりになりますが、お亡くなりになる18日前、9月25日、弟子信徒に行なった最後の講義は『立正安国論』でした。
まさしく日蓮聖人の一生は『安国論』に終始したものであるといえます。
立正安国論の構成
『立正安国論』は主人と客人との対談によって構成され、九問十答の問答によって叙述される。
ここで言う客人とは上奏の相手北条時頼、主人とは聖人に擬したものである。
  • 第一段 災難の由来についての問答
  • 第二段 災難の経証についての問答
  • 第三段 謗法の事実についての問答
  • 第四段 謗法の人と法についての問答
  • 第五段 災難の実例についての問答
  • 第六段 上奏の適否についての問答
  • 第七段 災難の対治についての問答
  • 第八段 謗法の禁断についての問答
  • 第九段 謗法対治と立正安国についての問答
  • 第十段 謗法の対治を領解する
第一段 災難の由来についての問答
客は現在の状況を嘆き悲しみ、主人に質問をします。
  • 客の問い
    • ここ数年の天災・飢饉・疾病の流行によって、牛や馬は死に至り、いたるところに死骸が散乱し路上に放置されていている。
      死を迎える人も大勢いる。なんと哀しいことだろう。
      災難を防ぐために幕府は多くの祈祷を行なっているが、何の効果も見られない。
      それは一体なぜなのでしょうか??
  • 主人の答え
    • 経典を調べてみますと、災難の原因は世の中のすべての人々が、正しい教えに背き、多くの人々が間違った教え、悪法、邪法を信じています。それ故この国を護る諸天善神はこの国を捨てて天上に去り、正法を弘める聖人も帰ってこない。そこでその隙に悪魔や鬼がやって来て次々に災難を起しているのです。
第二段 災難の経証についての問答
客はさらに詳しくその話を聞きたく主人に質問します。
  • 客の問い
    • この今の現状はただ私一人が嘆いているわけではなく、全ての人々が悲しんでいるのです。あなたが言ったことはどの経典に説かれているのですか??
  • 主人の答え
    • そのことを証明する経典は非常に多く、広く様々なお経にわたってみられます。(ここで四つのお経から七つの文をあげる。)これらの経から災難の原因が正法を護らないことにあると説くことは明らかであります。多くの人々はあさはかにも邪教を信じ、正しい教えをわきまえなのです。そして諸仏やお経に対して放棄する心を起して、正法を護ろうとする志がないのです。
第三段 謗法の事実についての問答
客は主人の言った言葉に対して怒りに顔色を変え主人に質問します。
  • 客の問い
    • インド、中国、を経て伝えられた仏教は、日本国では聖徳太子の頃から盛んであります。仏像や経巻は星の数のようにたくさんあり、寺院も多く立てられます。仏法を弘めるすばらしい僧侶もたくさんいます。
      いったい誰がその仏教を軽んじ、仏・法・僧の三宝を絶やしているというのですか??
      その証拠があるなら詳しく教えて下さい。
  • 主人の答え
    • 確かに寺院はたくさんあり、お経もたくさんあります。僧侶もたくさんいて、信者の信仰も昔から変わっておりません。しかしその僧侶は実は他者へ媚びる心が強く、人々を惑わしているのです。
      しかも国王の配下は愚かにもその僧侶の説く教えが正しいか間違っているかを分別することができないのです。
第四段 謗法の人と法についての問答
主人の言葉を聞いた客はさらに怒って、主人に質問します。
  • 客の問い
    • 賢明な帝王は悪僧などの言葉に騙されるはずはなく、信じるはずがありません。その賢明な帝王が尊重しているところから、今の世の高僧達が立派な出家者であることが分かります。
      それなのになぜあなたは人を迷わす言葉を吐いて強く誹謗をするのですか?
      誰を指して悪僧だと言われるのでしょうか?詳しく教えて下さい。
  • 主人の答え
    • 後鳥羽上皇の時代に、法然房源空という人がおり、『選択本願念仏集』という書物を著しました。
      その著によってお釈迦さまの尊い教えが破られ、今の世の多くの人々を迷わせてしまったのです。
      法然の『選択集』によって人々は迷い、しかもその間違った信仰がますます広まっており、みな浄土三部経や阿弥陀三尊の外に経や仏はないと思い、娑婆世界の教主釈尊を忘れて、西方極楽世界の阿弥陀如来のみを貴んでいます。
      昔からある寺院、諸仏を安置する仏堂は荒れ果てて、釈尊一代の五時の経典は全て捨てられ、阿弥陀仏を祀る仏堂でなければ布施をせず、仏法を尊び守ろうという心を捨て去ってしまっているのです。これによって守護の善神も去ってしまったのです。
      まことに悲しむべきことは、数十年の間、百千万人の人が魔縁によって本心を失い。謗法を信じて正法を忘れています。それゆえに、善神もお怒りになるに違いありません。正法を捨てて浄土念仏に心を寄せることから天魔がその機会を狙って日本国を混乱させるに間違いありません。それ故に、まず様々な祈祷をして災いを除くことよりも、この災いの根源である念仏を禁止することです。
第五段 災難の実例についての問答
客はいちだんと怒り、顔色を変えて主人に述べ、そして帰ろうとします。
それを見た主人はにっこりと笑い客を止めて言いました。
  • 客の問い
    • 釈尊がインドにおいて浄土三部経を説いて以来、中国、日本に伝わって数々の僧が阿弥陀仏を尊重しています。念仏によって往生を遂げた人もたくさんおります。その中でも幼少の頃から仏法を学び一切経を7回も読み返され、そこから念仏を選び取った法然上人は日本国中の人々を浄土教に導きました。人々は法然上人の事を勢至菩薩の化身、善導和尚の生まれ変わりであるとも仰いでいます。
      その法然上人を謗法の人だと言い、あなたは畏れ多いことに釈尊の説かれた浄土三部経を軽んじ、阿弥陀仏の誓願を謗っています。しかも近年の災害の原因を法然上人の時代までさかのぼって責任を負わせ、無理に中国の先師を謗り、更に法然上人を謗法者と罵るのですか。このような悪口を吐く者を私はいまだ見た事がありません。まことに恐ろしいことですし、慎むべきことです。法然上人を謗る罪はきわめて重く、処罰は到底逃れられないでしょう。こうして話をしていることさえ恐ろしい事です。私はすぐにでも帰ろうと思います。
  • 主人の答え
    • 蓼食う虫も好き好きといい、臭いもの身しらずというように、その事に染まってしまうと事の善悪が分からなくなって善い言葉を聞いてもそれを悪口と思い、正法を謗る人を指しても仏道に生きる聖人といい、正しい師を見ても悪僧と疑ったりするものです。その迷いは深く罪深いものです。
      詳しく法然が謗法の罪を犯していることをお話しましょう。釈尊の説法は前後の順番があり、方便の教えと真実の教えとの区別があります。浄土三師は先に説いた方便の教えを選び、後の真実の教えである法華経を忘れて捨ててしまったのです。法然も同じく仏教の根源が法華経であると知らないのです。なぜなら法然は多くの大乗経典、並びにすべての仏・菩薩、およびこの国土守護の四天王をはじめ神々を、
      「す(捨)てなさい、と(閉)じなさい、さしお(閣)、きなさい、なげす(抛)てなさい。」と言っています。この4字に浄土教以外の全てを当てはめて人々の心を迷わせているのです。この言葉は法然自身の解釈のみであり、仏説を全くみていません。悪口の罪は重く、責めても責めつくせません。それにもかかわらず多くの人は彼の著作『選択集』を尊んでいます。それ故に人々は浄土教以外の一切経を投げ捨てているのです。
      近年の災害の原因は過去の人の責任であるとういうことは経典にも説かれております。
      災難が起こる前にはその前兆があり、そして必ず災難は起こるという事です。
      念仏が災難の原因であることを、あなたは疑ってはなりません。怪しんではいけません。
      ただ何よりもまず念仏の凶を捨てて善を信じ、災難の原因である謗法の根源を断ち切らなければなりません。
第六段 上奏の適否についての問答
客は少しばかり態度を和らげて主人に質問します。
  • 客の問い
    • まだ奥深いところまでは理解できませんが、だいたいあなたの述べる趣旨はわかりました。しかし、仏教界には中心となる立派な人物があり、仏門には優れた指導者がいるのにもかかわらず、朝廷や幕府にこの事を上奏した人はいません。なぜあなたのような身分の低い者がそのような大それた事を言うのですか?
  • 主人の答え
    • 確かに私は度量の小さい者ではありますが、大乗の教えを学んでいます。小さなハエでも優れた馬の尾に掴まることによって遠くへ行くことができます。仏弟子として、釈尊の子として生まれた私は「諸経の王」である法華経に仕えています。ですから正しい仏法が衰えている様を見て悲しまないではいられません。その上経典に「法を破る者を放置してはいけない。もし人がいて法を破る者に対して何もしなければ、この人は仏法の中のかたきである。これに対し、法を破る者を指摘する者こそ真の仏弟子で、真の仏法の継承者である。」と説かれています。私は立派な身分にある僧ではありませんが、「仏法中のかたきである」という仏のお叱りを受けないために、ただその大切なところを述べているに過ぎないのです。
      その上、過去にも念仏停止の奏状が出され幕府は「選択集」の板木を集め燃やし、法然の墓を破壊し、弟子達を島流しにしてしまいました。このような前例をもってしても、なお上奏した者がいないといえるのでしょうか。
第七段 災難の対治についての問答
客は先ほどよりも態度を和らげて主人に質問します。
  • 客の問い
    • 法然を謗法罪の人であると断定することは難しいが、捨・閉・閣・抛の4文字をもって大乗経典、並びに仏、菩薩を捨てたことは明白です。しかしそのわずか4文字だけを取り上げて法然を謗法の者だと謗るのいかがかと思われます。
      あなたと法然の両者において、賢人愚人を区別することも、正しいか誤っているかも判断することはできません。ただし、災難の起こる原因が選択集にあるということは、先ほどからの文証をあげてのお話でよくわかりました。
      要するに世の中が平和であり、国土が安穏であることは、国王から民衆にいたる全ての人々の願いであります。思うに、国は仏法によって繁栄し、また仏法は人によって貴ばれるものです。もし国が滅び、人がいなくなってしまったならば、いったい誰が仏法を崇め信じるでしょうか。まず、国家の安穏を祈って、その後に仏法の流布をはかるべきであると思われます。そこで災難を除く方法があるならば、どうかお聞かせ願いたいものです。
  • 主人の答え
    • 私は愚かな者であって、災難を防ぐ智慧をもっておりませんから、経典に基づいて少しばかり述べますと、災難をはらい除く方法は仏教にも仏教以外にも色々あって具体的に挙げることは難しいのですが、仏教の立場で言えば、正法を謗る人を禁じて、正法を弘め信ずる人を重んずるならば、国中は安穏で天下は太平になるであろうと考えるのです。経典にも謗法行為を禁止することで災難が対治されると説かれております。(ここで3経10文をあげる。)
      また謗法の行為を止める人は、成仏が疑いないのです。
      謗法の罪は非常に重いと経典に説かれているのにもかかわらず、人々は法然の「選択集」によって正邪の判断がつかなくなっているのです。仏を破り、法を破り、僧を破る者が数え切れないほどいます。一日も早く天下を穏やかにしたいと願うならば、何よりもまず国中の謗法を禁じて、正しい仏法をたてなければなりません。
第八段 謗法の禁断についての問答
客は主人に質問します。
  • 客の問い
    • 謗法の者を断罪するということは『涅槃経』に説かれているようにその人の首を切らなければならないのでしょうか。もしそうであるならばこれは、不殺生戒を犯すことになるのではないでしょうか?
      たとえ破壊の者でも僧には供養すべしと「大集経」に説かれております。ですから謗法者の命を奪うことはとても信じがたいことです。これをどのように心得たらよろしいのでしょうか。
  • 主人の答え
    • 『涅槃経』に説かれている経文の意味は、たとえ謗法者であろうが仏弟子を戒めよというのではありません。ただ謗法行為を悪とみなしているのであります。釈尊以前のときは謗法者の命を断ちましたけれども、今の仏の教えは「謗法者に対して布施をしてはならない。」ということです。ですので日本国中の全ての人々が謗法に対する布施を止めて、正法に帰依するなら災難が起こることはないでしょう。
第九段 謗法対治と立正安国についての問答
客は席を下がり、襟を正して、主人に述べます。
  • 客の問い
    • 仏の教えはたくさんあって、その真理を究めることは困難ですが、法然の『選択集』は現にここにあり、捨・閉・閣・抛の4文字によって全ての経典や仏、菩薩を排除していることは明らかです。それが原因で聖人はこの国を去り、国を護る善神もところを捨て、その結果、天下は飢饉と疫病に苦しんでいるのです。今あなたが広く経文を引用して、道理を示されました。そのことによって私の迷いは転じ、目がさめました。
      国土が泰平であり、天下が安穏であることは、すべての人々の所望するところであります。一刻も早く謗法行為をする者に対する布施を止めて、多くの正しい僧尼に供養を捧げ、謗法者を対治すれば、平和な国土が実現するでしょう。
  • 主人の答え
    • あなたが私の話を理解してくれた事は、大変喜ばしい事です。
      しかし人の心は時とともに変わり易いもの。今は私の言葉を信じているようですが、時間がたてば忘れてしまうでしょう。もし何よりも国土の安泰を願い、現世および来世の安穏を祈ろうと思うのなら速やかに心を改め、急いで謗法者を対治しなければなりません。
      なぜならば経典に説かれている難のうち、いまだ外国からの侵略と自国の戦乱の難が残されているからです。経典に説かれた様々な災難がすでに起こったことからみれば、残りの災難も必ず現われるに間違いありません。そもそも帝王は国家を基として政治を行い天下を治め、人民は田畑を耕し世の中を保っています。外国から攻められて国土を侵略され、国内の戦乱によって土地を奪われ、国が滅びたなら人々はどこに逃れればよいのでしょうか。あなたが一身の安らかであることを願うならば先ず世の中が穏やかになることを祈らなければなりません。
      そして経典に、「このまま間違った教えを信じていると、早くにこの世を去り、死んでのちは必ず無間地獄に堕ちるであろう。」と説かれています。(4つの経をあげる。)これを心配せずにいられましょうか、苦しまないわけにいきましょうか。
      あなたは一刻も早く邪まな信仰を捨てて、ただちに唯一真実の教えである法華経に帰依しなさい。そうするならば、この世界はそのまま仏の国となります。仏の国は決して衰えることはありません。十方の世界はそのまま浄土になります。浄土は決して破壊されることはありません。国が衰えることなく、世界が破壊されなければ、わが身は安全であり、心は平和でありましょう。この言葉は真実であります。信じなければなりません、崇めなければなりません。
第十段 謗法の対治を領解する
客は最後に主人に述べます。
    • 現世の安穏、後生の成仏について、誰が考えない者がありましょうか。
      誰が恐れない者がありましょうか。
      今ここに示された経文によって、具体的に謗法の罪がいかに重いかを知ることができました。経文と道理から明らかであり、疑う余地はまったくありません。
      その上あなたの慈悲のある諭しを仰ぐことによって私の愚かな迷いの心が開けました。速やかに謗法の者を対治し、一日も早くこの世の平和を招き、まず今生を安穏にし、そして来世の堕地獄を救いたいものです。ただ私一人が信ずるだけではなく、他の人々の誤りを注意することに努めたいと思います。
 
 
 
   
 
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